『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:フリーター、監督になる~後編~(堀越高・佐藤実監督)
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「その試合に勝ったんです。もう『ボコボコにやられるんだろうな』と思って見ていたのに、選手が自分たちに任せられたことによってモチベーションが一気にグッと上がって、凄く前向きにいろいろなものを捉えて、四中工にほぼ何もさせないような完勝で、選手がメチャクチャ躍動している感じがしたんです。それで『あ、これかもしれない』と。『これでいけるんじゃないかな』と」


2012年3月。波崎で行われたオーシャンフィールドカップの大会最終日。最後に組まれた四日市中央工高との練習試合で、佐藤に「もう四中工なんてメチャクチャ良いチームだし、オマエらに全部任せるから、自分たちでメンバー組んで、好きなようにやってみろよ」と送り出された選手たちは、今までに見たこともないぐらい生き生きとしたプレーを披露し、強豪相手に完勝を収めてしまう。


「だから、あの四中工との試合で、波崎のあの試合で自分が全部『ここで針振り切っちゃえ』って、『もうこれでいいんじゃない』って決めたというか。何の確信もなかったけど、ですかね」。現在では堀越の代名詞ともなりつつある、“ボトムアップ”誕生の瞬間である。


とはいえ、当然最初から新しい取り組みがうまくいくはずもない。「今までテクニカルエリアで『ああでもない』『こうでもない』と言っていて、それがもうチームの絶対だったのに、当時は『言っちゃいけない』っていうのがまだあったので、『見ていた方がいいんだろうな』みたいな。選手に『何かありますか?』と聞かれても、『うーん… 何もない。良かったよ』とか(笑)」


選手も戸惑いを隠せない。特にこの変革期にキャプテンを託されていた戸田裕仁には、いろいろな負荷が掛かっていただろうと、佐藤は当時を思い出す。「僕も彼らとどう付き合っていいのかわからなかったから、結構厳しいことを言っていたんですよ。戸田に対しては最初の年だから、ダメな指導者の典型で『オマエもっとやらせろよな。任せてるんだから』と。戸田も『えー、今まで手取り足取り教えてくれたのに、急に「オマエやってみろ」って言われても…』みたいな。彼も悩んでいたと思います」


2013年のキャプテンを務めた鈴木信司には、選手起用の責任を負わせてしまった苦い経験もあった。「僕が選手選考の基準として『コイツにならすべてを任せられると思うヤツじゃなかったら、最後は託せないよ』『オレの前だけでいい顔してるヤツなんていらないよ』といつも話をしていたので、今まで力があると言われていた選手が出れなくなることもある訳ですよね。そうすると矛先が信司に向き、信司の親に向く、と。『結局好きな子を使ってるんでしょ』と」。


「そこをオーガナイズできなかったのは僕の大失敗でした。でも、信司の両親も全然そのことを僕に言わなかったんです。それはもしかしたら信司が止めていたのかもしれないなと。アイツはメチャクチャ優秀なヤツなので、『今はこれを外に出す時じゃない。オレが責任を取るから』みたいな感じで。後になってそのことを知りました」


周囲からの風当たりも強かった。外からは効果がわかりにくいボトムアップという方式を採っている上に、全国大会出場のような目に見える結果も出なかったため、常に懐疑的な視線にさらされていたが、佐藤には信念のようなものが芽生え始めていたという。


「当時矢沢永吉がCMで『新しいことをやる時はバカだとか無理だとか言うヤツが絶対にいるんだよ』って言っていて、『そうだよな』と。新しいことをやる時って絶対に批判とかいろいろなものがあると。でも、『育成って選手の成長のためにやっているんでしょ。それと結果が両方繋がっていったらこんないいことはないよね』って。それで今度は僕らも違うことに時間を使えて、チームをマネジメントすることとか、選手が足りていない所に目を向ける作業をしてあげることによって、彼らがまた変化してくれればいいし、そういう双方向のやり取りをしていった方がより組織が良くなると考えて始めたので、ここに舵を切るって決めたら、やり通さなきゃって思っていましたね」


2014年。佐藤の立場は、コーチから監督に変わる。この年のキャプテンは石上輝。彼こそがボトムアップに舵を切るきっかけとなった四日市中央工との練習試合に、先輩から指名されて出場していた“中学3年生”だ。


彼のことを説明するには、少し時を戻す必要がある。もともと積極的に選手のスカウティングを行っていなかった堀越が、2011年に開催したセレクションに“中体連選抜”の肩書を持った石上が参加してきた。「そんな子が来るようなことはなかったので、凄く光が見えたというか、『ああ、こういう子がウチを希望してくるんだ』と。『でも、興味本位なんだろうな』って思っていました」。佐藤も当初はそういう認識だった。


都内の中体連選抜と韓国のソウル選抜が対戦する大会を観戦した時も、プレーヤーとしては普通のサイドバック。選抜の中でも石上が突出した実力を有しているようには見えなかった。ただ、ある選手のイメージに重なる部分を感じていた。松商学園時代に指導していた、あの選手である。


「高橋義希と同じ目をしていたというか、同じ匂いがしたんですよね。自分の中には義希の成功例があったので、彼と同じような雰囲気を持っているというか、むしろ義希よりも強い1つの芯みたいなものをアイツに感じて、『この選手、獲りたいな』と本気で思ったんです」


指定されたファミレスに出向き、両親と石上へ自身の熱量をぶつける。「実は昔の堀越はこういうチームで、オレはこう思っていて、ここからもう1回強くしたいんだっていう夢みたいなものを偉そうに、石上にもお父さんにもお母さんにも語っていたような(笑) その熱だけは持っていきましたけど、他にも何校からか誘いがあることは知っていましたし、『まあ来ないだろうな』って」


想いは通じた。何回か練習に来るようになり、最終的には堀越へと入学する旨を伝えられる。「『え?大丈夫?本当にいいの?』みたいな(笑) でも、それまではウチのOBの方が指導されている中学年代のチームに『選手を出してください』とお願いして来てもらうことが多かった中で、縁もゆかりもないチームの選手として、堀越高校に目を向けてくれた最初の1人が彼だったような気がするんです」。そして、既に周囲から力を認められていた石上は、前述した四日市中央工戦に入学直前の“中学3年生”として出場する。不思議な運命は、あの試合の前からもう動き出していたのだ。


戸田の苦悩も、鈴木の苦労も、間近で見続けてきた石上は完璧なキャプテン像を体現していたという。「ボールを出したり、ラインを引くのって1年生の仕事じゃないですか。でも、石上が一番初めに来て、ボールも全部出す、巻き尺も全部出す、ラインも描くと。1年生がスタスタ出てくるんですけど、もう石上が全部やっている訳ですよ。まっすぐラインを引くコツも知っているから、それも全部見せて、チームをオーガナイズして、トレーニングをやって。周囲に厳しいことを言っている石上は、それも全部できちゃうと。もう神様みたいな感じですよね」


試合になれば“フリーポジション”という立ち位置で、攻撃も守備も重要な局面にはすべて関わっていく。「石上が良くない試合ってなかったんです。『パフォーマンス良くないな』『今日はちょっと調子悪いな』という試合は、僕が見た中で1試合もないです」。そう石上を評する佐藤は、ある思い出を笑いながら教えてくれた。


「選手権予選で勝ち上がっていく中で、僕もその頃は針を振り切っていたので、ある試合のハーフタイムに『こんなモチベーションで勝てるの?大丈夫?』と言ったら、石上が『ちょっと黙っていてもらっていいですか』って。その瞬間にグッとみんな石上の方を見て、『やっぱりボスはコイツだ』と。僕は『あ、あ、ゴメン』って(笑) 僕も刀を出したけど、すぐには鞘に戻せないから、なんか向こうの方を回って水とか飲んだりして、石上の話を聞いていたら『大丈夫、大丈夫。こうやれば間違いなく勝てるから。監督は心配になって言っているだけだから、全然気にしなくていいよ』って。その試合は勝ちましたね」


その年の選手権予選では22年ぶりに決勝まで勝ち上がる。最後は三鷹高に敗れ、全国大会には手が届かなかったものの、ボトムアップの方向性に確かな道筋を付けてくれた石上の存在は、堀越のキャプテン像のロールモデルとして、今も佐藤の中に息衝いている。


翌年も西が丘の決勝で駒澤大高に屈すると、そこからはなかなか目に見える成績を残せない時間が続く。富樫草太、雨宮悠二、佐々木響希、青木翔。いずれも豊かな人間性を併せ持ち、キャプテンとしての責任をまっとうしていったが、チームの結果とはリンクしないまま、4年の月日が経過していった。


2019年。シーズンが始まる前に、改めてスタッフ陣で今後の方向性を見直す時間があった。「ここ数年も当然良いチームではあったんですけど、何となく『選手権で優勝する』みたいな、ざっくりとした目標設定で選手にいろいろ伝えていっただけだったので、『チームとしてのプレーモデルや、どういうヒストリーでこのチームがあって、我々は世の中からどう見られているのか、というのを1回見直しませんか』という形で作ってみたんですよね」


この年は佐藤が国体に臨む東京都選抜のコーチとしての活動に時間を割くことも事前にわかっていたため、藏田茂樹コーチが中心となってチームビルディングを進める上で、選手への投げかけ方にも、チームとしてどう投げるのか、それはどういう方向に向かっているのかを可視化する試みにトライする。短期、中期、長期。沼大輔コーチが体系化したものをベースに、キャプテンの坂本琉維や齊藤篤史を中心とした選手が“東京制覇”という最終目標からの逆算で、細かい目標設定を決めていく。


「東京制覇という最終目標があったら、『じゃあインターハイでここぐらいまで行けなかったら、東京制覇なんて言っちゃいけないよね』とか、2018年にゼルビアさんがT2リーグで優勝した軌跡を辿っていくと、『最初の3節でこれぐらい勝ち点を獲る必要がある。じゃあ開幕節は必ず勝たないといけない』とか。で、だんだん自分たちで立てた目標に近付いていく訳ですよ。逆にその目標を超えていく週や、超えていく月があったりして、『いいじゃん、いいじゃん』みたいな」


「もう会社ですよね。売り上げの目標を全部設定して、ここまで行けばこうなる、みたいな。その根拠を分析してみんなで見せて、我々と選手とでやり取りして。そのためには週1回の掃除とか、オレたちは学校にこういう形で貢献しているとか、サッカーだけの基準を上げるんじゃなくて、みんなのマインドをしっかり合わせようよと。それをAチームだけでやってもダメだから、みんな巻き込んでやろうよ、というのがあの年で、結局全部のカテゴリーが昇格したんです。T2からT1に上がったし、地区リーグから地区トップリーグに上がったし、そういう体系化の形を坂本たちの代が全部作ってくれたんです」


さらに、チームで共有する1つの合言葉も生まれた。『誰かのために』。2020年のチームにも受け継がれた魔法の言葉。これは佐藤から発信したものだという。「坂本がSNSか何かに書いたものを僕が引用したんです。『他人のために、誰かのためにやろうという想いをみんなが持つことで、自分の限界を超えていくことができる』みたいなことを彼が言っていて、それを僕の所でストックしておいて、みんなにモチベーションビデオみたいな形で見せて、『みんなで行こうよ』と。僕も国体でいなかったので、帰ってきた時はみんなのグッドモチベーターになろうと思っていましたから」


選手権予選は4年ぶりにベスト4まで進出。そこで帝京高に1-2と惜敗したが、チームは結果以上に大きな指針を得ることに成功した。「ミーティングの作り方とか、練習の作り方とか、ゲームへの向き合い方とか、そういう素晴らしいモノを残していってくれたので、今度はオレたちがそれを回収しないといけないというのが大きな課題で、彼らに『オマエらがやってきたことは間違いじゃないんだよ』ということはちゃんと見せないといけないかなと思っていました」。そして、いよいよ2020年がやってくる。


3年生の選手たちは、本格的にスカウティング活動へ力を入れ始めたタイミングで入学してきた世代。学校のバックアップもより強化され、グラウンドを含めたハード面も十分に整っていた。さらに、そこへ坂本たちが残してくれた経験値も加わる。


機は熟した。佐藤は覚悟を決めた。「これだけ与えられて、これだけ準備してもらって、気持ちの良いヤツらが揃って、これで結果が出なかったら自分の責任だから、チームを離れちゃった方がいいかなという覚悟はありました。逆にそれと上手に付き合っていかないと、自分が本物になっていかないんだろうなと。みんなきっとどこかでターニングポイントがあって、そこに乗っかれてさらに上に行く人になるか、『やっぱり乗り切れなかったね』で終わっちゃうのか、僕のサッカー監督人生の分岐点になる年なのかなと思っていました」


だから、選手にも思い切りプレッシャーを掛けていた。「『もうこれで東京を勝てなかったら10年は優勝ないぞ』と。1、2年生にも『もう来年ありますとか、再来年ありますとか、そんなのいいから。今年だよ。オマエらの代になったら勝てます、なんて保証はどこにもないから』って。それぐらいの自信があったのと、一方で『オマエ、そこまでの責任を取れよ』という自分に対しての自己暗示と、“セールスマン”として選手を勧誘した自分の目が正しかったかどうかという検証と、そのあたりを知りたかったんです」


個人的にも気付いたことがあった。例年より佐藤がピッチの選手へ掛けるコーチングの声が多いように感じたのだ。そのことを尋ねると、明確な答えが返ってくる。「選手って細かいディテールの部分を忘れるんですよ。どうしてもゲームに入っていっちゃうので。だから、そこをとにかく僕は伝えていったというか、『今ここ切り替えなきゃダメだぞ』とか『ここは我慢時だぞ』とか、たぶんそういうコーチングだったと思います」


「やっぱり大事な時に大事なことを僕が伝えるというよりは、積み上げてきたことを共有しようよと。『こうだったじゃん』って言ってあげた方が、彼らの手助けになるのかなって。そういうのをピッチレベルでもう1人の選手、“12人目の選手”のように伝えてあげることことが大切で、『ああ、この人も戦ってるな』とか『この人も最後に責任を持ってやってくれるんだな』とか、そういう距離感でやりたいなと思うような、去年はそういう形でしたね」


迎えた選手権予選の決勝。堀越は後半終了間際に同点に追い付かれる。浮き足立ってもおかしくない状況の中、選手たちはキャプテンの日野翔太を中心に、とにかく落ち着いていた。「僕より選手が冷静でしたね」と佐藤。すぐに11人が集まり、失点をこれ以上しないという認識を共有すると、それぞれの持ち場に戻る。その数分後。日野の決勝ゴールが生まれ、チームは29年ぶりとなる全国大会の切符を手に入れる。


ボトムアップに舵を切って9年。スタッフも、選手たちも、苦しんで、苦しんで、ようやく見えてきた堀越スタイルの結実。とうとう東京の頂点に辿り着いた佐藤の脳裏には、真剣に向き合い、真剣に怒り、笑い、涙を流していった数々の卒業生たちの顔が、次から次へと浮かんでいた。


全国での躍進には改めて触れるまでもないだろう。同校初のベスト8まで勝ち上がり、2020年の挑戦は幕を閉じた。だが、最後に突き付けられた青森山田高という圧倒的な“基準”は、これからの堀越にとって大きな財産になりそうな手応えを、今の佐藤は抱いている。


「ある意味、負けたのが青森山田で良かったなと。メチャクチャ悔しいというよりも、『これだよな』って。『これに勝つためにオレたちは今後どうするか』と考えると、もしかするとこの環境下で、ボトムアップをやっている限界があそこだということであれば、また違う波に僕らが乗っかっていかないと、青森山田の域は超えられないのかなと。僕らの発想もボトムアップとか、そういう言葉に踊らされるんじゃなくて、選手がもっともっと主体的に考えていく中で『オレたちが新しい基準を創っていくんだ』という気概でやらないとダメなんだろうなという気はしていますね」


個人としてはどうだろうか。かつては“フリーター”コーチだった立場が、選手権で全国ベスト8を経験した“プロ”監督になった。この環境の変化を問われた佐藤は、ごくごく自然に言葉を紡いでいく。


「僕はこれを仕事だと思っていなくて、ずっと“フリーター”だった頃の延長線上にあるんです。だから、松商の時みたいに高橋義希がJリーグに出場して『うわ、義希スゲーじゃん』って感じていた時のワクワク感と、今回の高校選手権で勝っていく時のワクワク感って、自分の中で変わらないんですよね。立場が変わって、年齢が変わっても、そこは全然変わらないんですよ。それに、いろいろな経験が今の自分の中に乗っかっているんです。松商学園の時もそうだし、バドゥさんもそうだし、石上との出会いもあるし、良いタイミングで良い人が自分の前に現れて、いろいろなことを教えてくれて」


「今は堀越のユニフォームを着て、ここから出ていった選手が、それはサッカーじゃなくてもいいんですけど、さらに成長を加速させていくことに関わるための愛着はありますよね。だけど、愛着はあるけど執着している訳ではないので、ここの監督も次にやる人がいればやればいいだろうし、その人の方がいいと僕自身が思ったり、周りの人が評価してくれるなら、それでもういいと思いますし、自分の中で『区切りだな』と感じた時には、ちゃんと次なる子たちに渡していくことが、今後の組織の成長に繋がっていくのかなとは常に考えています」


そう言いながら、佐藤は既に新チームに向けた熱いモチベーションビデオを作成している。きっと長野へと“帰る”日が来るのは、まだまだ相当遠い先のことになりそうだ。


“フリーター”という社会的立場に置かれ、バイトに明け暮れていたこともある。何もない自分が恥ずかしくて、実家に帰れなかった日々もある。それでも、諦めなかった。サッカーと一緒に生きることだけは、絶対に諦めなかった。「一生懸命に物事をやっていたら、誰かが見ていてくれて、誰かが引っ張ってくれて、とかってよく言うけど、そんなのはたぶん本当にごく1パーセントぐらいの人だと思うんですよ。だけど、やっぱり誰かが見ていてくれたのかなって。自分がやってきたことや考えてきたことに共感してくれて、いろいろな人がいろいろな部分で引っ張ってくれたんです。だから、今はやめなくて良かったなと思えます」。フリーター、監督になる。佐藤実の中にたぎる情熱の炎は今、煌々と自らの行く先を照らし始めている。


前編はコチラ


■執筆者紹介:
土屋雅史
「(株)ジェイ・スポーツに勤務。群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に「メッシはマラドーナを超えられるか」(亘崇詞氏との共著・中公新書ラクレ)。」


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