大津→福岡大のサッカーエリートが陸上へ異例の競技転向「違う道もあるんだぞ」胸に響いた名将の言葉
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1月の九州実業団毎日駅伝で6区を走った黒崎播磨・河田健太郎。大学までサッカーを続けた選手の陸上転向は異例なケースだろう

 

 高校サッカー選手権予選が行われていた長崎を訪れた11月3日。取材を終え、何気なくテレビをつけると見覚えのある顔が映っていた。

 

「黒崎播磨」と書かれたユニフォームで走る、ある選手に目が留まった。5年前、九州の強豪校・大津高校サッカー部にいた河田健太郎である。

 

 中継の映像には「第57回九州実業団毎日駅伝」とテロップが入っている。毎年元旦に行われる社会人駅伝の最高舞台、ニューイヤー駅伝の九州予選だった。実業団上位8チームが出場権を得ることができる重要な大会で、河田は6区を任されていた。区間7位(18人中)で走り切り、チームも5位でフィニッシュ。本大会への出場権を獲得している。

 

 思わぬ再会に驚きつつ記憶を蘇らせていると、確かに腑に落ちる点はあった。

 

 高校時代の河田は走力と体力に秀でたMFだった。豊富な運動量を駆使して攻守のバランスを取りながらも果敢にゴールに絡んでいく、そんな印象が残っている。一美和成(横浜FC)、野田裕喜(モンテディオ山形)、真鍋旭輝(レノファ山口)ら現在のJリーガーが顔を揃えるタレント集団だったが、チームメイトに負けず劣らず、存在感を発揮していた。

 

 ただ、高校年代の取材を重ねる中で彼のことをより鮮明に思い出せるのは、当時の河田が駅伝大会に駆り出されていたからだ。しかも、高校駅伝最大の舞台である全国高等学校駅伝競走大会(通称・都大路)の熊本県予選、である。

 

 サッカーから陸上へ転向。河田のその後に何があったのか。リモートインタビューを申し込み、これまでの経緯を訊いた。

 

植田、豊川に憧れて入学した大津高校

 

「僕が中3の時の大津高校には、植田直通(セルクル・ブルージュ)さん、豊川雄太(セレッソ大阪)さんがいて本当に強い世代だった。大津の試合を見て、『あの青いユニフォームを着てプレーしたい』と思ったし、過去に多くのJリーガーを輩出している学校だったので、ここで活躍をしたらプロという道も拓けるんじゃないかなと思ったんです」

 

 熊本に生まれ育った河田は小学校時代から足が速く、持久走ではいつも一番。その脚力はサッカーでも生かされ、中学時代はJFAアカデミー宇城で活躍。同期の一美とともに大津高校へ進学した。しかし、名門・大津の壁は厚く、1年からレギュラーを獲得する一美に対し、河田は2年生までメンバー外が続いた。

 

陸上部の米田監督から呼び出されて

 

 そんな不遇の時を過ごしていた選手権予選前。陸上部の米田光宏監督に呼び出され、「お前、足が速いし、体力も相当あるよな? ぜひ駅伝を走ってくれ」と依頼を受けた。前述の都大路の県予選は選手権の県予選期間とも重なる。駅伝に出るということは、メンバーに入れないことを意味していた。

 

「正直、エントリーされたくない大会でしたね。でも、どうせ選手権予選のメンバーに絡めないのであれば、その悔しさをぶつける場所にしようと思って走りました」

 

 任された3区は8km。期待に応え、区間2位で走り抜いた。チームの結果は予選落ちだったが、悔しい気持ちは一切湧かなかった。むしろ「来年は絶対に出ない」という意志の方が固かったと笑う。

 

「今年は1区をお願いする」

 

 高3になると、河田は“本業”でもトップチームに加わった。しかし、途中出場がメインのジョーカー的な役回りがほとんどだった。夏のインターハイもスタメンでの出番はなく、チームも3回戦で敗退した。

 

 近づいてきた高校最後の選手権予選。河田は再び陸上部の米田監督に声をかけられた。

 

「今年は1区をお願いする」

 

 嫌な予感は的中した。しかも、今回は任される区間まですでに決まっている。「今年は絶対に出ません」と即答したが、今度はサッカー部の平岡和徳総監督からも「健太郎が駅伝に出場できるように選手権予選の準々決勝の日程を一日ずらしておいたから」と告げられた。これには決意を固めていた河田も面食らった。

 

「平岡先生から言われた時は“?”マークばかり浮かんでいました。しかも、1区は一番長い10km。それを走ったらさすがに翌日の試合には出られないわけです。すぐに米田監督のもとに出向いて、『1区だけは勘弁してください』とお願いしました(笑)」

 

 駅伝大会の1週間前に行われた選手権予選初戦(4回戦から登場)でスタメンに抜擢されたことで「駅伝には参加しなくいいということか?」と安堵の思いもあったというが、都大路予選の1区に自分の名前がエントリーされていることを知る。米田監督直々に「1区を任せられるのは健太郎しかいないから」と懇願され、渋々出場を決めることになった。

 

「もうサッカーで使われることはないだろうな。せっかく最後の選手権でチャンスを掴めそうなのに……」

 

 複雑な思いを抱えながらも、責任感の強い河田はエース区間である1区を見事に走りきった。その達成感はサッカーにも生かされた。なんと駅伝翌日の準々決勝・熊本学園大付属高戦ではベンチ入り。河田自身も驚いたが、試合の途中からピッチに立つことができた。

 

河田に声をかけた名将・古沼貞雄

 

 そんな懸命な姿を見ていたのが、サッカー部に指導に来ていた古沼貞雄だった。平岡総監督の帝京高校(選手権優勝メンバー)時代の恩師に当たり、同校を全国トップレベルに育てた名将は、河田の“走りの才能”を感じ取っていたのだろうか。準々決勝の後、思わぬ言葉をかけたという。

 

「河田! サッカーが好きかもしれないけど、違う道もあるんだぞ」

 

 その時はそれが陸上であるとは意識もしていなかった上、陸上をやろうなんて微塵も思っていなかった。でも「あの言葉はなぜか今も残っているんですよね」と当時を振り返る。この古沼の言葉は河田の人生を大きく左右することになった。

 

 調子を上げた河田は準決勝の済々黌戦では途中出場から2ゴールを叩き出し、東海大熊本星翔との決勝ではスタメンで出場してハットトリック。チームを3年ぶりの選手権出場に導く大活躍だった。

 

「あっという間だった」という選手権初戦では前橋育英高校に2-3の敗戦。怪我から復帰したばかりだった河田は後半頭から出場を果たしたが、選手権で優勝するという目標は叶わなかった。それでも全国の舞台を経験できたことで「大学経由でプロに進む」希望を持てたと当時を振り返る。

 

福岡大学に進学、A2チームの主将に任命

 

 一美と野田がJリーグに進む中、河田は福岡大学に進学した。九州大学リーグ優勝18回、総理大臣杯優勝1回・準優勝2回、インカレ準優勝3回を誇る名門である。そう簡単に出番を得ることはできない。

 

 大学1年目は4つあるカテゴリーの下から2番目のB1。努力を重ねて2年目にA2に上がるも、3年になると人間性を買われてA2の主将に任命。A1に上がってもレギュラーメンバーの試合相手という枠から抜け出せない毎日が続いた。

 

「トップチームでリーグ戦やカップ戦に出たいけど、その壁を超えられない。その一方でキャプテンとして1、2年生が多いA2をまとめないといけない立場にもなった。A2の目標はIリーグ(全国9地域の各大学セカンドチームで行うリーグ戦)を制して全国大会に出ること(九州の出場枠は1)。選手として何が何でもトップに這い上がろうとするべきか、キャプテンとしての責務を全うするか。この葛藤に苦しみました」

 

衝撃を受けた鈴木武蔵のスピード

 

 モヤモヤした思いが日に日に大きくなる中、衝撃を受ける試合があった。A2チームがV・ファーレン長崎の控え組との練習試合をした時のこと。ボランチとしてスタメン出場した河田はフリーの状態で横パスを受けるが、トラップミスをした。一瞬のことだったが、たまたまこの試合に出場していた鈴木武蔵(ベールスホット)にかっさらわれ、そのままスピードで引き離されて失点を喫した。

 

「鈴木選手の後ろ姿にもう何もすることができない自分がいた。この瞬間に『あ、俺がプロになるのは厳しいな』と。この1年、A2のキャプテンをやり切ったら、サッカーを辞めようと思うようになりました」

 

 立ち位置に悩む日々が続いたが、これでサッカーに対しての踏ん切りはついた。自分に残された仕事はA2を全力で牽引してIリーグ全国大会に出ること。ずっと続けてきたサッカーを中途半端で終わらせないように、最後の1年をやり切ろうと決意したのだった。そして河田は言葉通り、全国大会に出場。しかしグループリーグで敗退が決まり、河田のサッカー人生は大学3年で幕を閉じた。

 

サッカーを辞めたなら陸上をやらないか?

 

「お前、サッカー部辞めたんだってな。それなら陸上をやらないか? お前が入ってくれたら、うちの駅伝も強くなると思うぞ」

 

 教員や一般企業への就職を視野に入れ始めた頃、ゼミの友人にこう声を掛けられた。陸上部に所属するその友人は河田と同じ熊本出身。高校時代に駅伝に出場したことを知っていたのだという。

 

「いやいや。お前、何言ってんの? 俺がやるわけないだろって」

 

 しかし、ひとりになった時、あの言葉がよみがえってきた。

 

<河田! サッカーが好きかもしれないけど、違う道もあるんだぞ>

 

 自分でも驚くほど心の底からモチベーションが湧き上がってくることがわかった。

 

 真面目な河田は「中途半端な気持ちで挑戦してはいけない」と、米田監督や平岡総監督、福岡大サッカー部の乾真寛監督ら恩師たちに何度も相談したという。すると、どの指導者も「お前のやりたいようにやれ」と河田の意志を尊重してくれた。そして、仲間たちも背中を押してくれた。

 

 古沼の言葉によって河田の陸上人生はここから本格的にスタートしていく。

 

陸上で初めて味わった挫折

 

 入部は2019年1月11日。駅伝だけでなく1500m、5000m、1万mに取り組んだ。目標は「記録会にたくさん出て、最終的には12月の島原学生駅伝(1位が翌年の出雲全日本大学選抜駅伝の出場権を得る)を走って優勝する」こと。

 

 有言実行の男は、その年の5月の九州インカレ(5000m)でいきなり5位に入賞、6月の西日本インカレに出場した。全日本インカレ出場はならなかったが、堂々の4位入賞を果たした。そして10月には「陸上、駅伝を社会人でも続けさせてくれるところを必死で探した」結果、北九州市にある黒崎播磨株式会社に入社が内定。進路も決まり、最後の島原駅伝を迎えた。

 

 ここで順調に進んでいた陸上人生で初めての挫折を味わった。同大会で5区を任された河田は前回王者・第一工大に2分30秒差をつけた状態でタスキを受け取ったが、起伏の激しいコースに経験不足が露呈する形となり失速。最後は驚異の追い上げを見せた第一工大の選手に並ばれてタスキを渡した。河田は区間9位のタイムで、勢いに乗ったライバルに逆転優勝を許してしまった。つまり、河田がブレーキになったのだ。

 

「悔しかったし、みんなに申し訳なかった。誘ってくれたゼミの友人も『お前が入ってくれたら、島原駅伝で優勝する可能性も広がる』とまで言ってくれたのに、貢献するどころか自分のせいで優勝できなかった。これでさらに火がつきました」

 

サッカーは味方がカバーしてくれるけど

 

 今季、黒崎播磨陸上部に入部した河田は本格的な指導を受けながら「走るノウハウ」を学んでいる。吸収が早いのか、自身が定めた目標通り、1年目から九州実業団毎日駅伝のメンバーに選出された。

 

「僕の名前が呼ばれた瞬間は『よし!』と思った一方で、責任も重くのしかかりました。呼ばれなかった選手のほとんどが僕よりも数倍、いや十倍も競技人生が長くて、駅伝に人生を捧げて必死にやってきた人たちばかり。その人たちに対する責任もある。それにサッカーはミスをしても、味方がカバーをしてくれます。怪我をしても、調子が悪くても最悪、交代があるじゃないですか。でも駅伝は一度走ってしまったらもう代わりがいないんです。走り切らないとタスキを途切らせてしまう。会社の看板も背負っていますし、そのプレッシャーは今まで経験したことはないですね」

 

 緊張する河田に澁谷明憲監督を始めとするスタッフや先輩、後輩たちは親身になってアドバイスを送ってくれたという。この気持ちに応えたいという思いが強くなっていった。

 

 そして、筆者がテレビで見た九州実業団毎日駅伝につながる。当日、4位につけていた黒崎播磨は3位の九電工の背中を捕らえていた。澁谷監督は6区を走る河田に「最初から九電工について行って、そこからは我慢比べだぞ」と指示を出した。

 

 タスキを受け取った河田はハイペースで走り出した九電工の選手に引き離されまいと食らいついた。3km過ぎで追いつくと、指示通り我慢比べに挑んだ。残り3km過ぎでスパートをかけ、ついに九電工を追い抜いた。

 

 しかし、今度は別の選手の足音が背後から聞こえてきた。振り返ると河田の後ろを走っていた旭化成Bの選手が迫っていた。必死でペースを上げたが、序盤のハイペースが影響したのか「身体が思うように動かなくなった」と残り1km過ぎで抜かれてしまう。最後はなんとか4位をキープしたまま、最終7区の選手にタスキを手渡した。

 

目標はニューイヤー駅伝、将来はマラソンにも

 

 島原駅伝の悪夢を振り払い、最低限のタスクを果たしてタスキをつないだことで、ニューイヤー駅伝の出場権は手にすることができた。1年目から上々の成績かと思われるが、河田はこの現状にまったく満足していなかった。

 

「貢献したとは言えない状態だからこそ、ニューイヤー(駅伝)には出たい。そのためにはこれまでと同じように明確な目標を持って、1日1日自分のできることに継続して取り組んでいく。それが一番の近道だと思っています」

 

 九州実業団毎日駅伝が終わると、多くの友人や知人から連絡をもらい、反響の大きさに驚いた。一美からも「見たよ。俺も頑張るさ」とLINEをもらい、平岡総監督や以前から自分の陸上の才能を見抜いてくれた米田監督などからも祝福を受けた。

 

「僕は本当に周りに恵まれています。サッカーで挫折をしたけど、その分、大切なものをたくさん教えてもらった。今はファンとしてサッカーが大好きですし、同級生の活躍に刺激をもらっている。陸上は僕に新たな道を拓いてくれましたし、黒崎播磨はタイム的には大したことのない僕に期待して獲得してくれて、より高い目標を与えてくれた。全ての人に結果で恩返しをしたいし、古沼先生にも活躍している姿を見せたいんです」

 

 高校時代はあれほど嫌だった駅伝が、いつしか自分にとって必要不可欠な存在となり、自分を表現するツールになっていった。屈託のない笑顔と優しい口調で語る河田を見ると、多くの指導者たちが惹きつけられた魅力がわかった気がした。

 

「黒崎播磨は駅伝だけでなく、マラソンにも力を入れています。42.195kmは高校時代に走っただけなので、必ず挑戦したいです。陸上で活躍して、また取材してもらえるように頑張ります!」

 

 サッカーの夢は叶わなかった。でも、「違う道があるぞ」という言葉をつっぱねずに頭の片隅に残し、自分の心を信じたからこそ、河田健太郎の夢はまた大きく広がった。

 

 テレビで見た駅伝で走る姿は、すっかり陸上選手だった。ただサッカーも陸上も、そして人生も一歩ずつ踏み締めていくのは同じ。可能性に向かって走る青年の第二の人生に期待したい。

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